2025年01月05日
一月に咲く向日葵

真夏の光景ではない、
紛れもない一月五日、さっきの今帰仁村。
昨日は、三週間にも渡る入院からジジを迎えに獣医へ。
成果は明白でなく、案の定今朝もベッドにコロリと落とし物。
重くなる気分を、人間の介護を思えば可愛いものだと、
自分に言い聞かせる。
三週間コジロウタだけだったので、旺盛な食欲を見せるジジに
一気にご飯のストックが無くなり、急遽コンビニへ出かける。
帰りにいつもの道と違う道をいくと、咲き誇る向日葵に遭遇。
夏の光に抗うような、そんなエネルギーに満ちた花々ではなく、
柔らかな表情が愛らしい。
なんだかちょっと複雑な気持ちに包まれる。
一月に愛でる向日葵。
2025年01月01日
2024年12月28日
年末に寄せて、
28日、年末も押し迫った。
日本被団協のノーベル賞の受賞のニュースが、
年末を迎えて一年を振り返っての特集番組で流れていた。
ああ又今年も終わるなと、あまり切実に当事国の国民でありながら
考えたり感じたりしなくなっていると、ふと振り返る。
老齢を迎える頃になって、
色々なことを大流の流れには抗えもできないと、流してしまう、
そんな風に日々を過ごしてしまっている。
闘う人が身を粉にして勝ち取った幾つもの幸の上に、
日々があるのをいつも忘れてはいけないと、そう思いつつも。。
このニュースを改めて聞いていて、思い出したことがあった。
20代の後半に3ヶ月ほどニューヨークで過ごした事がある。
その旅の初めに、
友人とメトロポリタン美術館のカフェでお茶をしていた時の事、
2人の白人の老齢の女性が近づいてきて握手を求めた。
ヒロシマ、ごめんなさい。と、
突然のことだったので、私たちは何も返すこともできずにいたら、
この子達は、若いから分からないのよ。と言って去っていったのだ。
今朝のTV番組で、急に思い出した。
何十年も前のことだ。
思い出してみれば今ここに生きている自分が、
世界の歴史の大流の中にいるのだと、意識した最初だったかもしれない。
旅に出るとそんな風に日頃感じえない、
人の思いや歴史の側面に触れることがあって、
鈍った感覚を磁石のように引き戻されたりする。
それも旅の醍醐味だ。
来年も自分のエネルギーと相談して、又旅に出たい。
2024年12月16日
ボケにゃい!

凛々しいコジロウタは、来春で19歳になる。
ボケにゃい!
頼もしい宣言をしてるみたいなお顔だね。
ジジが詰まる苦悩から、薬を変えたら垂れ流し状態になって
ウンチまみれの状態に陥った。
ボケ老人の介護かあ〜そんな思いでせっせと我慢の掃除が続いて、
排便調整でまたもや長期入院になっている。
ただの一度も排泄の失敗をしたことのないコジロウタ。
嵐の日だって、ずぶ濡れになって外で済ませる。
爺さまになっても、ほんとにお利口。
最近は鼻水が多くて、
ニャンと言うたびに飛び散ってくるのはちょっと難だけれどね。
2024年12月08日
大きい隷書と小さい隷書

寒い日、
これくらいで寒いって言ってたら、北国の人に笑われるね。
小さい隷書と大きい隷書、書いて遊ぶ。
好きだ、この書体。
今はしっかり臨書中だから、よく観て書く。
猫と互いに暖をとりながら過ごす、
穏やかな冬日。
2024年11月24日
青いツリー

可愛らしい青いツリーの飾。
刺繍の得意な友人からのおくりもの。
ひと針、ひと針、時間をかけてのビーズ刺繍。
よく見ると、天使にサンタクロース、愛らしいモチーフがいっぱい。
いろんな思いを重ねて、数えきれないクリスマスが過ぎ去ったけれど、
見つめていると、
ただ、ただ無邪気に迎えた少女の頃に帰っていけるかのよう。
いや、思い出せばクリスマスなんてとりたててなかった。
唯一思い出すのは、気まぐれで父が買ってきた
アイスクリームのクリスマスケーキ。
特別で、夢見心地で食べたこと、淡い記憶が蘇る。